君のためなら千回でも

イメージ 1アフガニスタン出身のカーレド・ホッセイニ原作ベストセラー『君のためなら千回でも』(旧題『カイト・ランナー』)を「ネバーランド」「主人公は僕だった」のマーク・フォースター監督で映画化した感動ヒューマン・ドラマ。ソ連アフガニスタン侵攻の際にアメリカに亡命し作家になる夢を実現させた主人公が、今なお深い心の傷となっている少年時代に犯した罪と向き合い、それを償うためタリバン独裁政権下のアフガニスタンに帰郷するさまを感動的かつスリリングに綴る。
 ソ連侵攻前のまだ平和だったアフガニスタン。裕福な家庭の少年アミールと、彼の家に仕える召使いの息子ハッサンは、境遇の違いを越えて強い絆で結ばれた親友同士だった。ところが12歳の冬の日、恒例のケンカ凧大会の最中にある事件が起きる。以来、アミールは少年ゆえの潔癖さと後ろめたさからハッサンを遠ざけてしまう。そこへソ連軍が侵攻、アミールは後悔と罪の意識を抱えたままアメリカへ亡命、再びハッサンと会うことなく月日は流れてしまう。20年後、苦労の末にアメリカで念願の作家デビューを果たしたアミールのもとに、アフガニスタンの恩人から1本の電話が入る。“まだやり直す道はある”との言葉に、アミールは意を決して危険なタリバン独裁政権下の故郷へと向かうのだったが…。(allcinema)


原題:THE KITE RUNNER


2007年作品


この誓いは今、
君に届くだろうか。





あちこちブロガーさんのところで評判が良かったので、観たいリストに入れていました。


多くの知識はないままに観たのですが、アメリカ映画だと知って驚きました。
現地の言葉を使って会話しているからです。

その後、特典映像で、監督のM.フォースターが語っているので納得しました。
よりリアリティをもとめているから。だというのです。
現地で主役のアミールが英語を話していたら、アメリカへ行った時に片言の英語を話す?
そういう矛盾を嫌ったらしいのです。


これは正解だったでしょう。

白人ではない子供たちが英語を話すのは、やはり違和感をもったでしょうから。

ところが、現実は欧米へ移住しているために、
アフガニスタンの子供たちは、流暢なフランス語やドイツ語を話すそうです。
それが“今”なんでしょうね。


アミール達が生きた時代は、遠くへ行ったのかもしれません。


内容は、人との繋がりを描いています。

子供同士の友情。
これは、以前に観た【つぐない】のように、子供の残酷さや潔癖さで関係が終わってしまいます。

親子の関係。
アミールとその父親とはとても強い絆で結ばれていて、父親は最後まで息子に勇気を伝えようとします。

主人と召使の関係。
後でこの関係がこの物語に大きな影響を与えます。


邦題の【君のためなら千回でも】とは、友情の証として語られますが、
ラストでは、贖罪や希望を込めて語られます。
無償の愛情を感じる言葉でした。


それでも原題の【THE KITE RUNNER】も、この作品には大事な意味がありました。


原作者のカーレド・ホッセイニ氏はアフガン人で、
タリバンが凧あげを禁止したと知ってこの作品を書こうと思ったそうです。

最初は、平和だったカブールの青い空に、
そして最後はカリフォルニアの青い空に上がる凧は、平和と希望の象徴のようでした。


そして主役を演じた子供たちふたりは、迫害を避けるために、学校を卒業後国外へ出たそうで、
それを待ってこの作品の公開となったそうです。

平和とは程遠い国がまだまだあるのだと、またしても感じた作品でした。


どんな文章で綴るよりも、やはり多くの人に観ていただきたい作品です。