ゴッドファーザーPART II

イメージ 1亡き父のあとを継ぎドンとなったマイケルの苦悩と復讐を、父ビトーの少年時代からやがて一大ファミリーを築くまでのエピソードを交えて描いた、傑作「ゴッドファーザー」の第2作。
 前作から5年後。ドン・マイケル・コルレオーネは、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー畔に移していた。近くに一家の収入源であるラスベガスを控えていた為である。ドンの椅子に座るマイケルの頭の中には、やがて父ビトーの事が巡ってくる--若き日のビトーの物語は、マフィアの親分ドン・チッチオに殺されたビトーの父の葬列の場面から始まる。悲しみに暮れる葬列の中、突然一発の銃声が轟いた。シチリア人の掟に従って復讐を誓い、山に隠れて機会をうかがっていたビトーの兄が逆にチッチオの手下に撃たれたのだ。そして母もまた、チッチオのもとに幼いビトーの命乞いに行き、殺されてしまう。天涯孤独となったビトーは、チッチオの手下に命を狙われる中、命からがらにアメリカに逃げ延びた。リトル・イタリアで成長した青年ビトーは、若き日のクレメンツァ、テッシオ、ジェンコらと知り合う。パン屋、八百屋、服屋など様々な職業をやりながら、イタリア移民の人々の信望を集めていき、次第に頭角をあらわすビトー。そんな中、彼の前にリトル・イタリアの街を牛耳っている悪玉ファヌッチが立ちはだかった。彼の横暴を見かねていたビトーは、考えた末、街がキリスト教の祭りで賑わう中ついにファヌッチを拳銃で仕とめる。そしてこの銃声が、やがて築かれるドン・コルレオーネ・ファミリーの始まりであった……。
 映画は、幼いビトーが青年となり、やがてファミリーを築くまでの物語と、父のあとを継ぎドンとなったマイケルの、父がそうであった頃と全く変わってしまった時代の中でのドンとしての苦悩と復讐の物語が、実に巧みに交差しながら展開してゆく。よく練り上げられた脚本、複雑な人間関係を重厚に描いた巧みさ、ゴードン・ウィリスの画調の美しさ、若きビトー役のロバート・デ・ニーロの卓越した演技、ニーノ・ロータの素晴らしい音楽と、本作も前作同様、映画全編全てが魅力の傑作である。
 いわゆる一般的に認識されている続編とは違って、前作と本作とを合わせると1つの壮大なオペラと化すような様相で、その事はこの後コッポラ監督が自ら再編集した、「ゴッドファーザー・サガ」や「ゴッドファーザー 1901-1959/特別完全版」を見れば分かる。このシリーズはその両作品共にアカデミー賞を受賞しているが、シリーズが2作品共受賞するというこの記録は未だに破られてはいない。
(allcinema)


巨大な組織を 若い新しいゴッドファーザーが 受け継いだ-

1974年 アメリ
原題:MARIO PUZO'S THE GODFATHER: PART II

監督: フランシス・フォード・コッポラ
原作: マリオ・プーゾ
脚本: フランシス・フォード・コッポラ マリオ・プーゾ
音楽: カーマイン・コッポラ ニーノ・ロータ
出演: アル・パチーノ ドン・マイケル・コルレオーネ
    ロバート・デュヴァル トム・ヘイゲン
    ダイアン・キートン ケイ・アダムス・コルレオーネ
    ロバート・デ・ニーロ 若き日のドン・ヴィトー・コルレオーネ
    ジョン・カザール フレデリコ・“フレド”・コルレオーネ
    タリア・シャイア コニー・コルレオーネ・リッジ
    リー・ストラスバーグ ハイマン・ロス
    マイケル・V・ガッツォ フランキー・ペンタンジェリ
    マリアンナ・ヒル フレドの妻
     ジェームズ・カーン サンティノ・“ソニー”・コルレオーネ




やはりパートⅠから続けて観るべき作品でしょうね。
時間が空いてしまったので、
観ながらパートⅠを思い返す作業が必要でした。


とにかく、若き日のビトを演じたロバート・デ・ニーロは、文句のつけようがありません。
時間の流れの説明がないので、一瞬何が起きたか戸惑いましたが、
当時の街並みや走る車などで、時代が遡ったことが分かりました。

ビトの時代はいちいち○○年と表示をしないし、
断片的に描かれているので、
抜けている時間に、何度となく思いを馳せてしまいます。

それもデ・ニーロの存在感のせいでしょう。

例えば、現在進行形のマイケルの物語と、
ビトの生い立ちの物語を、別のものとして作ることも可能だったでしょうが、
そうしなかったことで、ふたりの男をより印象深く見ることができた気がします。

デ・ニーロは、成功していく男の輝きがあります。
パチーノは、孤独に陥る男の影があります。

光と影…。
印象に残るのはデ・ニーロですけど、
それはパチーノの存在があればこそだと思います。


妻とのすれ違い。
兄弟とのすれ違い。
マイケルは疑い深い小心者だったのでしょう。
誰も寄せ付けず、最後のボート小屋のシーンは苦しすぎました。

頂点に立つ者の孤独を見せつけられました。


マフィアの妻になってしまったケイの悲しみ。
マフィアの家族になってしまったフレドの悲しみ…。

さまざまな悲しみが描かれているにもかかわらず、
また観たいと思わせる作品です。


やはり名作です。